展示の反省とこれからについて

今回House of PICNIC!!というのを作ってみたけれど、なんだかパッとしなかった。
もちろん今まで作ってきた作品よりも、ずっと自分のやりたいことに近づいている感覚はあるのだけれど、なんというかもうエスキースの段階でつまずいていたということに気付いた感じ。

本当に自分がやりたいことは何か。
という問いからスタートして、自分の中にある遊びという要素や、建築、そこから始まる「場」というもの、それらを統合したものが今回の作品だと思っていたけれど、さらにそれらを統合した段階で出来上がったイメージを、もう一度整理整頓し、自分のやりたいことは何なのか、という問いへ、一度フィードバックし、さらに組み立て直す、
こうゆう作業が必要だったんだなって思った。

そのズレが、今回のハードとソフトのズレというか、
んーなんかやりたいことは分かるけどね〜
というような感覚を多くの人に感じさせてしまったのではないか。

おもしろい
と言ってくれた人も多くて、今回は今までよりも気持ちがよかったけれど、そう言ってくれる人が、少なくとも15分以上は僕とその場で話をした人達で、もちろんお客の中には通り過ぎるように出て行く人も、部屋の中に入ってこない人も当然多くいて、実はそうゆうリアクションを無視しようとしていたんだけれども、そうゆう人達に、いかに面白いと思わせるか、これが欠けているように思えた。



ハードとソフトのズレについて/

今回やろうと思ったソフトは、室内でピクニックをしながらお話をすること。
従ってハードは、ピクニックをしながらお話をする室内。ということになる。

ズレてしまったのはもちろんハードなのだけれども、今回できてしまったのはつまり、ソフトに及ばない程度の演出+オルタナティブスペースにインストールすることへの無自覚
だったと思う。
前者に関しては、造形的能力のレベルの低さということで片付けられると思うが、後者については、エスキースの段階でのミスが原因であると思う。

最近、美術館やギャラリーなど、いわゆるホワイトキューブで作品を展示してみたいと思うようになった。
というのも、美術館で作品を観る、という当たり前の機能をReデザインしてみたいと思うからだ。
ここで自分が問うているのは、本当にやりたいことは何か、本当に楽しいことは何か、ということで、要は美術作品を観ることよりも、こっちの方が楽しいでしょ?というある種美術館や美術に対しての斜に構えた視点、大きく構えて言ってみると批判的な視点を提示してみたいのである。

という目論みがあって、それをオルタナティブスペースでやろうとしてしまったことが今回の作品を中途半端にした最大の原因であると思っている。

かつてゲームセンターだったスペースのど真ん中にある事務所の箱をギャラリーに見立てるという勝手なイメージを人に伝えるためのデザインを付け加えぬまま押し進めてしまったのである。

さらにHouse of PICNIC!!自体が、茶室のルールを踏襲するところから発想された作品であるのに、しつらえが茶室ではなく、ギャラリー。そりゃおかしくなるわという話。



んで、やり直しをしたいんだけど、タイミングで悩んでいる。
こんなことで悩むのは甘いと分かっているんだけど、悩む。

次の展示で決まっているのは、3月21日の代官山。
この頃にやり直しができれば、ちょうどいんだけど、2月3月ってのは実は春休み。
だから学校の工房が使えない。
会場での建て込みをしようとも、搬入日は1日、展示も1日、搬出も1日。
つまり持っていって置いて、持って帰れる家。
モバイリティ−溢れる、House of PICNIC!! light 
一家に一台!みたいなキャッチフレーズが付けられそうだけど、これを学校以外で作るのは、けっこう厳しいんじゃないか。

かと言って今からゆっくり作り始めて4年になってから完成。だと実は卒業制作に食い込むんじゃないかと不安になる。
食い込んだっていいかもしれないけれど、卒制はやりたいことが実はある。

こうゆうときってどうしたらいんだろう。
完全に外注しちゃうのも、学校以外の工房を借りるのもそんなお金は持ってない。

んー、学校の休みが長いのも考えものだ。
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