地域資源としてのお月見泥棒

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もうすぐ十三夜という時期ですが、十五夜の頃のお話し。
足尾では星をモチーフに作品を作っていたということもあり、ワタラセアートプロジェクト2010の松原商店街エリアで一緒に滞在していたアーティスト海老由佳子と共謀し、中秋の名月に合わせた満月祭を企画することになった時のこと。
そんなイベントを企画しているんだよ、という話を代本板の石幡愛にしていたら、お月見泥棒という風習のことを教えてくれた。
お月見泥棒というのは、日本各地でかつて行われていた行事のひとつで、十五夜の夜に限り、人の家の団子やお供え物を盗んでも許されるというものだ。

正直始めは、なんとなく「お月見泥棒」ということばは気に入っただけで、あまり興味を持てずにいて、満月祭のお知らせの中に、言葉だけ使ってみた。
するとそのチラシを受け取ってくれた足尾のおばあちゃんたちが、やたら盛り上がり始めて、足尾にもお月見泥棒があったことを教えてくれたのだ。

足尾滞在中の制作過程における街の人達とのコミュニケーションのキャッチボール。僕はキャッチャーミットで街の人が放ったボールを受け取る技術を持っているとして、街の人達もたくさんのボールと球種(ネタ)を持っているとする。しかし、7月から滞在し始めて2ヶ月経った9月にこのチラシを街の人達に配るまで、僕はあまりうまく街の人達とのキャッチボールができずにいた。
お互いボールとグローブを持っていても、街の人は投げるべき的と、そこに投げるべきボールがどんなボールなのかを、イメージできていなかったのだろう。僕もどんなボールを要求すればいいのか、2ヶ月足尾をうろうろしながらも分からずにいたのである。
「満月祭をやります!お月見泥棒という言葉を楽しみながら宴をしましょう!」というような内容のチラシだったんだけど、それがたまたま街の人達がボールを投げつける的になったようで、近所のおばあちゃんたちが「昔あったねえ」と、当時の様子を色々と教えてくれたのである。
僕はまさかお月見泥棒の風習が足尾にもあったとは、思いも寄らず。まるで石幡が、足尾にお月見泥棒があることを知っていて、それで僕に教えてくれたんだっけ?とか、自分がお月見泥棒という言葉を使ったことの経緯が、よく分からなくなるような。


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近所の星野のおばあちゃん情報によるところ、足尾版お月見泥棒とはだいたい、
「竹の竿に五寸釘をつけ槍にし、各家の居間などに侵入し、お供えしてあるお月見団子を、家主に見られぬようにそーっと遠くから槍で突き、成功すれば食べることができる」というもの。他の方に聞いてみると、槍は竿だけではなく、川魚を捕るための銛なども使っていたらしい。

とりあえず今回は竹竿に五寸釘という組み合わせを選んでみた。
しかし足尾にはあまり多くの竹が生えておらず、ひょんなきっかけで松原商店街松島板金の松島さんが店先のガーデニング用に使っている竹を、わざわざ外してお借りすることになった。さらに、それを持って歩いていると、星野のおじいちゃんが、「そんな枝だらけの竹じゃ危ないから」と言って、ナタで枝やら節やらを器用に落としてくれた。
そんな感じで団子突き用の槍が完成。


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満月祭の日はあいにくの天気だったけれど、松原のアイドル海老由佳子が使用しているスタジオ「シンブンシャ」には、シンブンシャのサポーターキッズ達を始め、足尾クラブ(学童少年野球チーム)の子達やらがたくさん集まってくれた。

五寸釘は団子に対して少し太いのかなと思っていたけど、松原の和菓子屋安塚さんのお月見団子は少し大きめのタイプで、五寸釘のために作ったんじゃないかと思うくらいである。
また五寸釘であることで、簡単過ぎず、難し過ぎない程度の遊びになっているんじゃないかと思った。

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ある時、足尾町松原に住む荻原さんという方が、「足尾はお土産物がないから、地域のものを活かした新しいお土産を作りたい」と言った。荻原さんの言うお土産は食べ物のことを指していたんだけど、僕はその時「月がいいんじゃないか」と言った。
足尾は足尾銅山で急激に栄えた街だ。街の真ん中には渡良瀬川が流れていて、渓谷と呼ぶにふさわしく両側を山に囲まれている。その山は足尾銅山の公害で、禿げ山になってしまったという暗い歴史がある。今でも所々からその傷跡を感じることができる。
そして夜になると暗くなり、山の傷跡は見えなくなり、山は影になる。その山の影の上にぽっかりと浮かぶお月さま。
お月見をイベントにしようと思ったのは、足尾で星をテーマに作品を作っていて、月も星である、ってことが気になって、毎日星や月を眺めていたからだ。お月さまがまん丸の時は、星を見えなくしてしまい、山や街が月明かりに照らされる。少し明るい夜空と、くっきりと浮かび上がる山の形の組み合わせはとても美しかった。
地域資源、というものが何を指すのか、という話にもなるのかもしれないが、農業がほとんど行われていない足尾でお土産を作るほどの農産物を地域資源と呼ぶのは難しいように思う。
だからと言って、その街に住み、毎日その街を見て過ごしている人たちが山の影と月の組み合わせを名物にしよう!なんて言うほど、足尾の歴史は明るくはないようだ。
しかし、今は暗い歴史が表立って足尾を形作っているような時代でもないし、環境教育的な意味でも、自然の美しさを楽しみながら、郷土史歴史を学ぶこともできるし、足尾の廃墟や風景を撮影しにくるアマチュアカメラマンたちにも、月の美しさは受けることだろう。橋、山、月、ってのも最高。

空き家、という地域資源と、地域コミュニティーとの関わりという地域資源をフルに使い、その土地での作品発表を行う地域系アートプロジェクトが、地域に入り込んで行く意味は、アーティストという観察力を持ったよそ者が、新たな視点を持ち込み、多角的に何かのテーマを切り込んで行く事件性にあると思う。
僕はお土産を作りに足尾に行ったわけではないけれど、街の人との会話から生まれたアイデア、というのが面白いところだと思う。
そして僕の視点で言えば、お月見泥棒を足尾の新しい恒例行事にしたい、というこのプランは、地域資源を活かしたお土産物を作ることではなく、地域資源を活かしたお土産話を作ることになる。

ましてや、このご時世において、人さまのお家に上がり込む、ということだけでも十分な事件になり得てしまうってこともあるし、人さまのお家から団子を盗むという相当なものだと思うし、小さな街とは言え、全員が知り合いというほどでもない足尾の、様々な世代が交流できる行事になればさらに面白いサイドストーリーが生まれでてくることだろう。
そして何よりも、僕らよそ者のアーティストが、展覧会だから毎年足尾に来る、というのではなく、中秋の名月は足尾でお月見泥棒、という今までアートプロジェクトと街が作って来た関係性とは別の形でも関わることができる。

地域資源から新しい地域資源を作るとも言えるのかな?
サイドストーリーからサイドストーリーを生む。というのは僕のコンセプトかも。
来年の中秋の名月で、今年のお月見泥棒の話をし、再来年もまたやろう!という話になる、そんな出来事を作りたい。



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