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岐阜のこよみのよぶねを振り返る

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岐阜の津川佳子氏から、左義長(どんど焼き的なやつだと思う)で昨年作り上げたこよみのよぶねを焼いた、というメールを頂き、昨年10月から取り組んでいたこよみのよぶねのことを思い出した。2006年から岐阜で始まり、昨年東京で初めて行われたこよみのよぶねの5年目が終わり、6年目が始まった。佳子氏のメールの件名は「終わりは始まり」、日比野さんが言うように、「燃やしてなくなってしまえば、また作ることができる」まさにまた集まって作るための始まりということだ。
昨年末は岐阜に行くことができたが、まだ左義長には行ったことがない。自分たちが作ったこよみが燃やされる機会をやっぱり観に行けば良かったなあ。

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そして昨年12月22日、その岐阜で始まったこよみのよぶね本家本元の舞台に、僕たちが東京で作り上げたこよみが、浮かんだ!
東京ではオンブズマンややる気のない行政や下らないディレクションに阻まれ、北十間川に狭しと浮かぶことしかできなかった。(通りすがりの近隣の方々は、喜んでくれた。)その上、処分の仕方にまで悩まされ、どんど焼きも行政に断られ。行き場をなくし、産業廃棄物になりかけたこよみ、日比野さんに岐阜に持って行ってくれ!と頼んだ甲斐があり、4tのトラックに無理矢理積み込み、岐阜で芸大OBの中西と多摩美チームが修復をし、思いがけず屋形船に取り付けてもらうことができ、2時間もの間長良川を浮かんだ。しかも作ってくれた東京チームを乗せて。
(僕は船酔いするので、陸から眺める。)

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12月22日冬至の日。1年で一番夜が長い日。
1年で一番長い夜と、1年で一番短い昼が交じりあう美しい瞬間に、こよみは点灯し、
金華山と名月を背景に、鵜飼で有名な長良川に浮かび流れる。

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浮かんだだけでなく、僕らの作った4は、岐阜の1から12の中に入っていた。岐阜では間に合わなかったのと、今回から岐阜市以外の、大垣市と郡上八幡市でもこよみを制作しており、地域間交流プログラムの中に、東京も入った、というわけだ。
日比野さん(日比野家)を始めとする岐阜の人達や、親方のいる一宮の人達も十分に濃いキャラクターを持った人達だなと思っていたけれど、大垣や郡上八幡のチームもなんだか濃かった。その分今年の岐阜市チームは薄かった。

というか途中まで、今年のリーダーはいないんだと思っていた。現場で僕ら当日スタッフ(そもそもスタッフのつもりでは行ったわけではないけどまあいつもの流れ。)に指示を出しているのは初代リーダーの佐部利氏と、昨年のリーダー佳子氏。
うーむ、なんだかもやもやするので、少し岐阜のことを考えてみる。

<こよみのよぶね岐阜2010について思ったこと>
・リーダーの不在
東京のこよみで、僕がここでいう意味のリーダーを全うできていたかどうかも大きな問題かもしれないけれど、まず単純に考えて今回の岐阜リーダーについては、顔が見えない、存在を感じない、リーダーシップがない、全体の流れを読めていない、という印象だった。岐阜の人達のフォローは、作り手ではない素人だから、ということだったが、素人であることが言い訳でもいいけど、顔が見えないという点に関しては理由にならない。
・歴代の参加者の不在
僕は2005年の最初のこよみにも参加させていただき、岐阜には多くの知り合いをもつことができた。どこかの地域を訪ねると言うことは、その地域に根を張って住んでいる人達の顔を思い浮かべることである。しかし今回のこよみにはあまり多くの「岐阜の人」が来ていなかったように思う。というか全然会えなかった。冬至の日にこだわっているため、平日であったから、来場者自体は少なかったようだ。もちろんそれは大きな要因なんだろうけど、やはりこよみのよぶねが地域のお祭りであるならば、地域の人達が休みを取って来るようなものを目指さなければならないだろう。ましてや終日参加することはできなかったとしても、一瞬たりとも姿を現さないという態度は、コミュニティーとして疑わしいと思った。それでは地域は作れない。
・「素人」と「作り手」の境界線
このような市民参画型のワークショップで一番難しい問題だなあといつも思うのは、ビジュアルのクオリティーをどう捉えるかということ。今回の東京でのこよみ制作は、東京芸術大学が中心になり、都内の美術大学に通う学生チームが中心となって制作を行った。1ヶ月という短い時間ではあったが、それが逆に集中力をアップさせ、納得のいくクオリティーのものができたように思っている。そして何よりもリーダーとしての僕の思いは、墨田区を始めとする東京の人達に見せるためだけではなく、岐阜の人達の顔を思い浮かべながら作った。5年の歴史と経験を持つ岐阜の人達に見せた時になんと言われるだろうか、その歴史と経験をくつがえしてやる!などと、競争意識を(勝手に)楽しみながら作り、それらが長良川で対峙することをイメージし続けて当日を迎えた。
そして当日、岐阜のこよみのよぶねのクオリティーの低さに戸惑った。「市民が作った」とか「みんなで作った」ということの美学は、何にも変えられない感動を生む。しかし、あくまで長良川に浮かべて来場者の目を楽しませるものである。見た目の美しさというのは必要ないはずがない。しかし、人が感動するほどのビジュアルを作るのは、我々ビジュアリストの仕事である。そもそも岐阜の市民が作ったこよみを見て、見た目がかっこわるいと思うこともビジュアリストとしての視点なんだと思う。
ただ、結局のところ僕たち東京チームが岐阜のこよみの修復と、構造の補強を行うことになった。ビジュアルのクオリティー、の要素には、構造としての強さは言わずもがな含まれる。岐阜のメンバーにももちろんそれができる作り手がいるが、5年の歴史と経験と、そういった人的ネットワークを全く感じないクオリティーだったということ。
作り手のビジュアルに対するエゴなだけではないはず。
・行政のバックアップがなくなったこと
日比野克彦を観光大使にし、市民参画という行政が好きそうな言葉を使っていても、行政は手を引くんだなあ。
行政に頼るのはなく、地域が立ち上がらなければいけない。


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さて、そんなこよみのよぶね(岐阜の1~12、東京の1~6)が14日、左義長にて灰になった。
日比野さんは、「燃えてなくなれば、また作ることができる」と言っていた。
1年という時間に思いを馳せながら作り、次の1年を思いながら燃やす。

東京では来年もあるのかな?

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東京と言えば、多摩美彫刻科チームはさすがだ。岐阜まで自腹で来て、ものすごい活躍ぶりだった。
東京でも多摩美チームがいなければ絶対にできなかった。庭師の勢いもものすごいけど、多摩美チームもすごい。彼らはまだ1年生、これからどんな作家になっていくんだろう。
人との出会いというのは常に、"今まで"と"これから"に支えられた"今"の中にあるような気がする。多摩美の子達がこよみに来てくれたことは僕の中では意外な出来事だったけれど、今までのことを話のきっかけにして仲良くなりながら、これから先の時間を想像するための今をみんなで作り上げていく。庭師親方の古川乾提氏も庭師のネットワーク『庭JAPAN』を主宰し、今までとこれからのための今のネットワークを作っている。

今回の東京のこよみも、岐阜のこよみも、親方チームがいなければ浮かばなかった。
岐阜のこよみは僕らがいなくても浮かんだだろうけど、大変だったと思う。
人のつながりがあるから、できる。
人のつながりは最強の武器だ。




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